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イタリアの悪代官と越後屋。

べるる と Bettino Craxi。
BCs.jpg
*クリックで大きくなります*

というイメージです。私の頭の中では。笑。

Bettino Craxi って、ナニモノ?




craxis.jpg
*クリックで大きくなります*

Benedetto(Bettino) Craxi

  1976?1993 イタリア社会党 党首
  1983?1987 イタリア首相
   
  この人のコトも、書き始めるときりがない…。
  イタリア人に「大泥棒!」と言われる位の
  “大物”政治家です。笑。
  しかし、べるるのことを語るならこの人に触れない
  わけには行きません。
  1970年代後半から親交のあったこの2人、べるるは
  Craxi氏から政治のいろはを学んだと思われます。
  
  べるるとの関係にだけ絞って言及すると、彼の
  おかげで、現在のべるるのメディア独占が可能に
  なったと言っても過言ではありません。
  それまで国営放送Raiが独占していた全国放送を
  べるるの持っていたテレミラノ(後のCanale5)に
  認める法令を発布したのがCraxi氏。

  その後、べるるはRaiではCMスペースの価格が
  法律により定められ、きわめて高い事に目をつけ、
  低価格でスペースを提供、大成功を収めました。

  で、その収益はもちろんCraxi氏にも回るわけです。
  べるる所有企業が1991から92年にかけて、Craxi氏
  管轄下の銀行口座に総額230億リラ(当時の換算で
  1,850万米ドル)のヤミ献金を行ったことが明らかに
  なっています。

  と、そこに起こってきたのが汚職一掃を目指した
  "Mani Pulite(清潔な手)"運動。
  Craxi氏は逮捕を免れないと知り、チュニジアの
  リゾート都市Hammametへ逃亡します。
  逃亡後もCraxi氏は一言も謝罪はせず、己の無実を
  主張し続けていたそうです。
  そして結局Craxiは祖国に戻ることなく2000年に
  Hammametで死去しました。

  この"Mani Pulite"によって出来た政界の隙間に
  上手く滑り込んだのが、誰あろう我らがべるる。
  1993年にわずか数週間で"Forza Italia(がんばれ
  イタリア)"党を作り、自分(ならびに親族)の
  持ち会社を総動員し、1994年4月にはイタリア
  首相の座についてしまうのでした。
  
  もちろんべるるにも嫌疑はかかったのですが、
  なんと内務相に、まさにその"Mani Pulite"の
  主宰者、ディ・ピエトロ判事を任命したり…。
  (判事はもちろんお断りしたようですが。)
  と、同時に"Mani Pulite"により検挙された政治家、
  財界人全員の釈放を命ずる政令を議会に提出したり
  しています。(この辺り、さすが、べるる。)

  余談ですが、べるるもCraxi氏もフリー・メイソン
  のメンバーなんだとか…。汗。
  (この辺、知りたい方は各自でお調べください。)

…っと、今回はちょっと硬めでしたね?。
では、おまけの軟らかい(?)ネタで閉めましょう。

こちらをクリック。

Craxi氏の息子です。名前が、ステキでしょ?むふ。

あまりいないとは思いますがもっと知りたいという方へ。
Bettino Craxi - Wikipedia(英語)
Bettino Craxi - Wikipedia(イタリア語)
Grandi Notizie(イタリア語)
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